ネパール ARCHVES
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朝7時、ホテルの窓から見えるボダのストゥーパを拝む。
今日こそ、ビザがうまく取れますように。
朝食はとらず、スズキの車なのにトヨタのステッカーを貼ったタクシーに乗り込み、再びインド大使館に向う。
今日は大使館が始まる2時間以上前、7時過ぎに到着した。
それでも僕の受付番号は36番だった。
早い人達は6時頃に来て、受付番号だけもらって、一度、ホテルに戻るか、周辺を散歩しているようである。

それでも昨日より15人程は早い。
そして今日は、パスポートコピーもデリーからヘルシンキまでのフライトチケットのコピーも持ってきた。
これで書類として十分のはずである。
念のために写真も余分に持ってきた。

9時をまわり、大使館の前が徐々に人であふれてくる。
さて、昨日の感じでは、そろそろ番号順に並ばせるはず、いや、えっ?今日は、番号順じゃない?
団子状にたまっていた人を列にして番号もチェックしないで、入場が始まった。
インド人の行動は読めない!
大使館前の売店でミルクティーをゆったり飲んでいた僕は完全に出遅れた。

今後は、どちらにも対応できるように早めの番号をもらい、開く30分近く前から、できるだけ大使館門の近くにいるようにしよう。
これで明日からは大丈夫!
ってまた来るつもりか?

到着から約4時間。
11時30分過ぎに僕の順番が迫ってきた。
僕より少し前から日本語が聞こえてくる。
アジアの旅が長そうな中年夫婦で、繁華街のタメルで購入したであろう服もいい感じでくたびれていて、身体に馴染んでいた。

「前の人、チベットに行っている回数が多いからって別室に呼ばれたわよ」
やはりラサの事件はここでも、少なからず影響しているのかもしれない。
そう言っていた彼等も、パスポートのコピーがないというので突き返されていた。
やはり、昨日と同じ係員である。

それが発端となって軽い夫婦喧嘩が始まった。
「あれだけ調べたのに、何でこうなるの?」
「じゃ、お前、自分でやれよ」
待ち時間の長さに疲れ、張りつめていたものがはじけたのだろう。

そんな様子を見ているうちに僕もどんどん不安になってきた。
「ネクスト!」
僕の番である。
コピーを眺め、パスポートのスタンプを眺めた後、
「本物のチケットを見せろ」
と言われ、世界一周のチケットの束を渡した。
珍しそうにパラパラめくり、どこに行くのかを全てチェックしていた。
もちろんチェックの必要はない。…と思う。
ただ単に彼の趣味である。…と思う。
こんなことをしていれば、一人あたりの時間も伸びる。…と思う。
「と思う」となってしまうのは、どちらにせよ、今、インドに入れるかどうかの権限は彼自身の手の中にある。

「何日にデリーを出発するんだっけ?」
と問いかけられる。
覚えているかどうかをからかわれているような感じにさえ思えてくる。
「マーチ、23」
と答える。
「オッケー!」
隣の支払いの場所に回された。

さっき、欧米人が、「オーケー」と言われた後、
「イェイ!」
と叫んだ気持ちがわかる。
僕も何だか大学受験に合格したときのような気持ちだった。
こうして無事、僕のトランジットビザは取れた。
チケットが取れ次第、ムンバイに飛ぶことにしよう。

海外のインド大使館でビザを取った方の話は、「簡単だったよ」、「大変だったよ」といろいろ聞いた。
そして、今回の件で、メールもいただいた。
きっと窓口の係員次第なのだ。…と思う。

[ UPDATE : 2008/03/21 ]

最悪である。
8時30分にはインド大使館に到着した。
始業時間は9時30分からなのだが、既にビザを求める行列ができている。
僕の番号は「52」と口頭で言われる。
すなわち既に51人並んでいることになる。
しかし、別に銀行のように番号札がいただけるわけでもない。
同じ番号の人がいて、もめるわけである。

さて9時30分に開門。
しかし、処理が遅い。
結局、僕が受付を許されたのは12時30分をまわっていた。
通常のツーリストビザではなく、すぐにフィンランドに移動するため15日間だけ有効のトランジットビザを申し込む。
その方が処理が早いのだそうだ。
係員の一言。
「デリーからフィンランドのチケットコピーがない。明日、出直せ」
である。
4時間以上かかって僕が得た物は、トランジットビザの用紙のみ。

チケットを持ってきているのに、何故なんだ!
コピー機は係員の後ろにあるではないか。
コピーを取ってくれる優しささえない。
結局、1日を無駄にしてしまった。
ホテルのラウンジでワインを飲みながら、今後の予定を冷静に考えてみる。
行く可能性の場所をあげてみる。
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1:チベット自治区のラサ
今さらだが、シングルビザでインドが無理とわかった瞬間、最初に浮かんだ場所である。
しかし、特別なビザがいることがわかり、結局、断念する。
それよりも、ご存知の通り、ラサは大変なことになっている。
そういえばボーダナートで顔を塗って、中国の国旗を踏み付けながら抗議活動をしている人がいた。

2:ポカラ
ビザのいらないネパール国内の旅にする。
カトマンズと違い、空気も澄んでいてきれいな場所である。
この線が一番、現実的なのかもしれない。

3:カトマンズ
もう一週間、同じ街に居続ける。
このホテルは最高に居心地いいが、外に出たくなり、となると既にセカイサンポではなくなってしまうので、もし、そうするなら、タメル地区にホテルを移動するだろう。

4:ムンバイ
この調子だとムンバイへの道は険しそうである。
明日もビザが取れるかどうか微妙である。
しかし、どうしても悔しい。
たとえムンバイに行かなくとも絶対にビザを取ってやる。

[ UPDATE : 2008/03/19 ]
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さてインドに戻れない。
すごろくでいうところのお休みである。
心も落ち着き、トラブル処理を始めることにした。
「旅は続けられるから大丈夫!」
と言い聞かせながら。

まずは、今日、宿泊する場所を確保する。
現地在住のある方に電話した。
その方のお陰で、グランドハイヤットホテルに信じられない値段で泊めていただけることになる。
今回のセカイサンポでこのクラスのホテルに泊まるのは最初で最後に違いない。
そしてトラブルを処理するには少しでもいい環境のホテルの方がいい。
少なくとも僕にとっては。
ありがたく甘えさせていただくことにする。

次にムンバイの空港に迎えに来てくださる予定だった実業家のハリーさんの携帯に電話する。
こういうときは世界携帯様々である。
ムンバイのホテルもハリーさんにお願いして予約していただいていたので、とりあえず月曜日の宿泊分までキャンセルをお願いした。

そして、飛行機チケット。
こちらは、ほぼ全て買いなおしになるであろう。
同じく現地在住のうえのさんに電話をした。
ネパール人の旦那様がタメルで旅行代理店をされていると聞いていたのである。
ご無理を言って、明日の午前中に事務所に伺うことにした。

これでひと段落。
空港のタクシーは400ルピー(約800円)と言ってくるので、空港の外で200ルピー(約400円)で捕まえ、ホテルに向った。
それにしても、今月分の連載原稿は、だいたい送ってしまい、ムンバイは取材が予定に入ってなかったのが不幸中の幸い。
ツイテル!ツイテル!
と思った瞬間、出発時のチホの言葉を思い出す。
「油断しない!いい気にならない!感謝の心を忘れない!」
皆さん、ホントにありがとう!

[ UPDATE : 2008/03/18 ]

ムンバイはすっかり南国である。
と書きたかったが、僕のインドのビザはシングルビザで一度、国外に出たらもう使えないビザだった。
はい。初歩的なミスでございます。
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そういうときに限って、空港ではスムーズに行くものである。
出国税をクレジットカードで支払い、チケットカウンターもほとんど並ばず、短いフライトなので景色を眺めたいと窓側の席を取ってもらった。
送れることが当たり前の飛行機も本日は予定時刻に飛びそうだと言う。
イミグレーションもすんなり通り、荷物チェックもスムーズだった。

と思いきや、二人がかりの荷物チェックの最後で係員が言った。
「お前、出国スタンプが押されてないぞ!」
と言われ、イミグレーションカウンターに戻された。
そういえば、イミグレーションの係員が何か言っていたような気がする。
でも、通ってしまった。
あのときスタンプは押していなかったのである。

とにかく、もう一度、戻ったところで、別の係員がチェックして、シングルビザだったことが発覚したわけである。
「what can I do?」
僕が聞くと、彼はあきれ顔半分、怒った顔半分で言った。
「インド大使館に行け!」
本日、土曜日で大使館はお休みである。
まぁ、インドまで飛んでしまっていたら、もっと大変なことになっていたのだから、よしとしよう。
いや、よくない。よくない。
というわけで僕は、未だカトマンズにいる。

Ps.このブログはイミグレーションの前の椅子に座り、ノートパソコンを開き、様々な連絡先メモを見て、携帯でかけながら(すぐにつながらなかったりもするので)、書いていた。
そして、アップできているということは、トラブル処理も進んでいるということで。
その話は長くなるので、何回かにわけてご報告します。
今からインド大使館に行ってきます。

[ UPDATE : 2008/03/17 ]

僕は年賀状を出さない。
そのかわりというと言い訳がましいが、来た年賀状を旅の間に持ち歩き、旅先から気が向いたら返事がてら送ることにしている。
投函するとき、本当にこのポストは機能しているのかなぁと思うこともあるが、ラオスで土で出来たポストに投函したときでさえ届いたのだから、早い遅いはあるにしろ、ある程度の確率で届くと信じている。
しかし、このカトマンズのポストは、大丈夫かなぁ。
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たいていポストというのは、きれい、汚いはあるにせよ、少なくとも僕が見てきた中でここまで大事にされない感の強いポストはない。
この国の郵便事情も物語っているのかもしれない。
ここには住所というものが存在しないそうだ。
じゃ、郵便物はどうするのか。
確実なのは中央郵便局に自分の私書箱を持っておくのだそうだ。
僕が宿泊していたホテルの住所かと思っていた数字も、実は私書箱の番号だった。

そういえば昨日、街で出会った曼荼羅を描く版画アーティストも、手紙を出す場合、場所と名前を書けば何とか届くよみたいなことを言っていたような気がする。
お互い怪しい英語なので、不確かだが。
不確かながら、2枚だけ投函してみることにする。
人選に特に理由はない。
来ていた年賀状の上から2枚無造作に取っただけである。
日本までの切手代25ルピー(約50円)を貼り、
「届きますように」
と願いをこめて、投函した。

浜松の高橋一家、グラフィックデザイナーの増田さん、葉書が届いたら、メールをいただけると幸いです。
届かなかったら…。
考えておきます。

[ UPDATE : 2008/03/16 ]
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ミスった!
「2番」のネパール数字の表記をメモしてくるのを忘れてしまった。

現地在住の渡辺氏から、乗合バスの停留所を聞き、早速、乗り場に向ったのである。
しかし、ランダムに停まっているマイクロバスに書かれているのはネパール文字ばかり。
行先なのか数字なのかさえわからない。
四番、五番、六番と日本語表記で書かれた数字を外国人が見るようなものである。

彷徨いながら、何人かに
「ボーダ?」
と聞くが、
「違うよ」
的に答えてくれ、優しく教えてくれているような感じはするのだが全くわからない。
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しかし、あっさり「2A」と数字で書かれたマイクロバスが目に飛び込んできた。
数字が読めることが、ここまで嬉しいと思ったことがあるだろうか。
僕は走って、そのバスのところに向い、呼び込み兄ちゃんに
「ボーダ?」
と聞くと、彼はうなずき、手で乗るように誘導され、マイクロバスに乗り込んだ。
出発の時点で10人乗りワゴンには既に15人が乗っている。
降りるときにお金を払っても、先に行先を告げて、お金を払ってもいいようだ。
僕は「ボーダ」と言って20ルピー(約40円)札を渡すと、5ルピーのお釣りをくれた。
行先を告げておけば降りる場所を教えてくれるのかと思ったが、そんなに甘くはなかった。

進んでいくに連れ、いつのまにか23人が乗っていた。
もちろんドアから人があふれ、完全なるハコ乗り状態である。
車内は人の上に人が乗っているような感じになってきている。
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途中、何人か降りて、落ちついたと思いきや、今度は溶けそうなアイスキャンディーを持った子連れの親子が乗ってきた。
しかも僕の近くである。
溶けそうなアイスキャンディーが僕のズボンに落ちそうである。
しかし、動けない。
頼む…。
クリーンニングはムンバイまで無理なんだよ。

危機一髪でアイスキャンディーのしずくは床に落ちた。
などと思っているうちに乗り過ごしたようで、終点まで行ってしまった。
乗るときに聞いた呼び込み兄ちゃんに
「ボーダは?」
と聞くと運転手と大笑いし、逆方向に走りはじめようとしたバスを止めてくれた。
やはり行き過ぎたのである。

帰りは運転手のすぐ後ろに座り、
「ボーダ?」、「ボーダ?」と何度も何度も聞いた。
ホテルからタクシーだったら、20分程度で到着するところを2時間近くかけ、無事、世界遺産のボダナートに到着した。
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[ UPDATE : 2008/03/15 ]
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焼きバナナとミルクコーヒーが今日、初めて口にした物である。
時計は既に午後4時をまわっていた。
食べる時間がなかったのではなく、少々、下痢気味だったので、お腹に食べ物を入れないでミネラルウォーターだけを飲むようにしていたのである。

旧王朝広場のマーケットが一望できる2階のカフェにいた。
「Can I change my seat?」
今日、初めてしゃべった。
お腹とは関係なく、ただ単に窓際の外がよく見える席が開いたからである。

携帯電話の画面表示をみるとニューデリーの時刻のままになっていて午後4時15分を指していた。
ということはカトマンズは午後4時30分である。
15分という細かい時差にもようやく慣れた。
ネパールビールの一つエベレストビアを頼む。
下痢によくないことはわかっているが、どうしても飲みながらマーケットの様子を見たかった。
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日本人の若い女性がマーケットでシルバーの腕輪を物色していた。
Gショックの腕時計をしている(僕の目は2.0なので、こういうことしか使い道がないのです)とか、重ね着のファッションの仕方からなのかはわからないが、何故か日本人とわかるのは不思議なものである。
同じ民族の匂いがするということなのだろうか。

必死におばちゃんがシルバーの腕輪の説明をしている。
値段交渉が成立したようである。
しかし、彼女はネパールルピーが足りないようだ。
鞄の中から米ドル紙幣を出す。
売っていたおばちゃんの息子なのか、言いつけられた男性が走って両替をしに行った。
持ち帰ったルピーの枚数を見る限り、100ドル札を出したようである。
ルピーの枚数を見て、他の店の人達が黙っているわけがない。
彼女が購入したのはアクセサリーのはずなのに、仏像を持った人達に囲まれるのであった。

機内食ブログあり

[ UPDATE : 2008/03/14 ]

「where are you from?」
また、ツアー会社かタクシーの勧誘かと思い、無視しようとした。
最近、ようやく無視できるようになったのである。
日本では街のティッシュ配りを無視することさえ勇気がいる弱虫な僕としては明らかに前進しているのである。
それでもときどき、気を抜くと
「Japan」
と答えて、
「コンニチハ、ドコイキマスカ、チョットマッテクダサイ、アリガト」
と知っている日本語連打でしつこくつきまとわれることになるのだ。
ちょうどこの写真を撮っていることに気をとられ、今日もあっさり「Japan」
と答えてしまった。
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「来るぞ~」と覚悟した途端、
「日本人の方ですか?よかったぁ。僕も日本人なんです」
予想外の答えが返ってきた。
彼は、お父さんがネパール人でお母さんが日本人のハーフの高校3年生なのだそうだ。
カトマンズのお父さんの実家にしばらく滞在した後、インドの大学へ留学するらしい。

「僕、ホームシックになりそうだったんです。少し話しても大丈夫ですか?」
あまりに正直でストレートな申し出だった
僕としても夜、食事の約束があるだけで、昼間は散歩しているだけである。
彼とお茶をすることにした。
彼から怒涛のような質問を浴びせられる。
7月まで旅をすることまで話し終えると彼はミルクティーを一口飲んでから言った。
「7月まで、ずっと旅って怖くないですか?」

「ずっと旅するって怖いこと」
18歳の若い彼から出た言葉に戸惑った。
「散歩だからね。普通の旅より気楽といえば気楽なんだけどなぁ」
動揺を隠しながら、精一杯答えた。
「きっと語学が堪能だから気楽なんでしょうね?英語以外にも何語が話せるんですか?」
英語が話せることを前提に彼は言った。
「英語も話せないよ」
そう言うと
「え~!ダメじゃないですかぁ!それでよく旅ができますね!」
高校3年生に怒られる40歳。
「僕の話はいいから、まなぶ君の話を聞かせてよ」
とごまかして、彼がこれからやりたいことやホームシックになった原因など様々なことを聞いた。

彼の携帯が鳴った。
自宅からで、親戚が来たから戻ってこいとの連絡のようだ。
「僕のことをブログに書いてくれるんですか?ありがとうございます!絶対にメールくださいね!」
礼儀正しくお辞儀すると彼は小走りで去って行った。
というわけで今、僕は君のことを書いています。
少しはホームシックがなおりましたか?< br/>

機内食ブログあり

[ UPDATE : 2008/03/13 ]
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ドキッとするよなぁ。
手をつないでいるのを見ると。
男性と女性じゃないですよ。
男性同士なのです。

しかも彼等はゲイではない。
ただ単に仲がいいだけである。
インドもそうだったが、やはり未だに慣れない。
街を歩いていて見かけるとどうしてもそこに目がいってしまう。
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何故、手をつなぐ?
彼等からすると仲がいいのに何故、手をつながないの?と言われるかもしれない。
こればかりは文化の違いというか習慣の違いだからどうしようもない。
もし、僕がネパールに住むとしたら慣れるしかないのだろう。

逆に女性に握られたら受け入れてしまうの、どうしてだろう。
男性に握られても女性だと思えば耐えられるのだろうか。
でも、もし、ネパール人の男性と仲良くなって、いきなりバーかカフェで手を握られたら、やはり咄嗟に手を引いてしまうだろう。

きっと彼は悲しい顔をするだろう。
何故?僕たち仲がよかったはずでしょ?
僕は焦って言い訳をするだろう。
日本では手をつなぐ習慣がないのだよと。
いつか僕はこんな夢を見るに違いない。

ちなみにネパールではゲイは公認され、パスポートには男性、女性、男性でも女性でもないの区分けがあるそうだ。
これもネパール在住の日本人女性陣と飲んだ席で聞いた話である。
ただ、タメル地域にあったオカマバーは風紀を乱すと地域住民から追い出されてしまったらしい。
もし、オカマに手を握られたら、そのままにしておくかもしれない。
僕の判断基準もよくわからないですね。

[ UPDATE : 2008/03/12 ]
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頭を支点にして荷物を運ぶおじさんに見惚れているとプラスチックの容器を持った女性が僕の脇を通って行った。
さっきも、やはり容器を持った女性が急ぎ気味に歩いて行った。
後をついて行ってみることにする。
どこに行くのか様々な妄想を描いていたのだが、あっけなく目的地に到着してしまった。

すぐ先に人だかりができている。
僕を抜かした女性もその人だかりに加わる。
何をしているわけでもないが軍人が立っている。
行列の先には石油がある。
写真を撮りたいなぁと軍人にかわいくボディランゲージを試みてみるが、40歳になろうおじさんイシコでは気持ち悪いだけである。
あっさりダメと言われ、仕方なく、周りから眺めることにする。

現在、ネパールはエネルギー不足が深刻化しているらしく、停電も毎日4、5時間ある。
昨日の夜、タメルの街で、ろうそくの中でサンドイッチとビールを飲んだ。
エネルギーの中でも特に石油は不足していて、一時は街を走る車の数が激減したそうだ。
そういえば空港からホテルに向う途中もひどいガソリンスタンド渋滞に遭遇した。
昨日、ネパールに嫁いだ日本人女性達と飲んだ際、お子さんが通う幼稚園のスクールバスは石油不足で来なくなったという話を聞いた。
テンプー(8名ほどの幌付き軽トラのバス)やマイクロバスのような貴重な交通機関も激減。
となれば、もちろんタクシーの料金も3倍、4倍へと吊り上がっていく。
街が機能しなくなっていく。

どうして石油が入ってこなくなったのか。
理由は単純でネパール政府が石油輸出国への支払いを滞ってしまったのだそうだ。
しかし、国民は石油のお金を支払い、政府に渡っているはずである。
そのお金はどこに行ってしまったのか。
誰にもわからない。
少なくとも一般市民には。

[ UPDATE : 2008/03/11 ]
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